ターゲットの曖昧さ、表現での差別化、強みの抽出が問題点。
「石鹸はコモディティである」というあきらめがなかったか。
8/16のJ-cast Newsに「牛乳石鹸」広告が炎上、「もう買わない」の声 「意味不明」「ただただ不快」批判殺到の記事が掲載されました。以前、「炎上というムダ」という記事を公開しましたが、ここではブランド論的に、牛乳石鹸の広告の何が問題だったのか、を考えていきたいと思います。
まず、多くの人が不快に思ったムービーということを出発点に考えると、この一連の広告は誰に向けての広告なのか?ということを考えるべきだと思います。You tubeの説明のところには「がんばるお父さんたちを応援するムービーです」と書いてあります。ということは、この牛乳石鹸のキャンペーンをするときに、「ムービーで描かれているようなお父さん」をターゲットにした、ということがまず考えられます。ただ、サイトに紹介されているポスターを見ると、お父さんだけでなく、さまざまな世代の男女が主役となって、ポスターが展開されていることを考えると、牛乳石鹸のターゲットはお父さんというわけではなく、「なんとなく日々に不満を抱えていて、何かを洗い流したい人」という漠然としたターゲット像を想定して行われたキャンペーンなのではないか、と推察されます。ムービーの他のバージョンもあったかもしれません。
石鹸を買う購買層を考えれば、男性よりも女性の方がターゲットとして考えやすいでしょう。もし男性にするのであれば、石鹸という日用品においてとても斬新なターゲット設定ですし、そうなのであれば、キャンペーン全体として徹底した表現をすべきだったでしょう。多くの企業は、ターゲットのボリュームゾーンを狙いがちで、プロモーションにお金をかけるわけですが、今回、Webムービーとポスターだと、予算の厳しい制約の中で考えられたキャンペーンのようにも思います。そうだとすると、バズることを目的に表現が考えられてしまう、つまり表現でなんとか差別化しようという思惑があった、ということが考えられます。いい意味でバズれば、かけた広告費の何倍、何十倍もの予算効果を得られるからです。
しかし、もっと根本的なところで、このキャンペーンは牛乳石鹸そのものの「強み」を深く掘り下げる必要があったのではないでしょうか。「さ、洗い流そ」というコピーは、言い換えれば、他の石鹸でも使用することができます。牛乳石鹸自体は、使ったことのない人でもおそらく知っているブランド名でしょう。だから一見、成立していそうな感じもしますが、これを仮に「山田石鹸」というブランド名だったら、どうでしょうか。今、思いつきでつけた名前なので存在しない石鹸ブランドですが、まったく知らない石鹸だったら、「さ、洗い流そ。山田石鹸」と言われても、「なにそれ?」となって見向きもされません。しかも広告で使われている文脈は、本来の牛乳石鹸の強みとは関係のないものです。
つまり、牛乳石鹸の本来ある機能や歴史、ストーリーなどを強みにして訴求せず、「石鹸そのものがすでにコモディティである」という考えで、なんとなく大衆を動かそうとしたコピーに見えなくもないのです。そういうコピーだと、ターゲットの設定が曖昧なので、表現でどう差別化しようか、という道に自らハマっていってしまいます。予算が少なければ「表現でなんとかしないと」という上記のような思考になるので、なおさらハマってしまうのです。自分たちから炎上してしまう構造をつくってしまった、ということがブランド論的視点で考えると、推察されます。
牛乳石鹸自体は、89年続くロングセラーブランドで、世の中で愛されているからこそ、永く続くブランドになったはずです。だとすれば、必ずどこかにいいところがあるはず。ブランド本来の強みに立脚したプランニングをしていれば、この炎上は防げたのではないか、とも思うのです。
文:BRAND THINKING編集部
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