【勝沼ワイナリーマーケット・新田商店のブランド論】第2回
現在、日本で一番良いワインとされるものは、甲州種ぶどうが原料と言われている。そんな山梨の中でひときわぶどう栽培に適した丘陵地帯「勝沼町」に、創業61年の歴史を持ち、勝沼ワインを通して地元や県外の人たちから圧倒的な人気を受ける店がある。その名は、新田商店(勝沼ワイナリーマーケット)。奥深いストーリーを持ったワインやお酒を扱い、山梨の魅力を発信し続ける同店の代表取締役 新田正明氏に、地元山梨への想い、ワインやお酒に対するこだわりを訊いた。
聴き手・文:BRAND THINKIKNG編集部 撮影:大堀力
自分の一番近いところにワインがあった。
———–3代目に就任し、ワインにフォーカスしたお店へと変えられました。
2000年以降は、点と点がすべてつながっていったんです。たどり着いたのは、ワインだったんです。場所が勝沼だったというのが当然大きいですね。私自身がこの地で育ちましたし、一番近いところにワインがあった。「山梨のワイン」を発信していくという意味では、うちは結構早かったと思います。2002年頃から、畑別、地域別のワインを作ろうと思いたち、さまざまな農園をまわりました。その中で勝沼醸造さんに面白がっていただき、共感していただけたんです。そうは言っても、ワインやぶどうづくりに自信はありません。自分がやっていることが正しいのかどうか毎日不安でした。その時に、友人や賛同してくれる方々や、酒屋さんの存在が大きかったですね。そうした「仲間」がいたからこそ、若い醸造家やぶどうを栽培する方々も自身を持って取り組むことができたと思うんです。あの時代を動かした人たちが、山梨の甲州ワインを底上げしていったんです。
山梨ワインの魅力をどう広げるか。
———–その頃はどんな苦労がありましたか?
私自身も、クーラーボックスにワインを入れて、居酒屋めぐりをしました。山梨のワインの味を知ってほしい。友人を集めてワイン会をやったりもしました。でも当時はあまり喜ばれませんでしたね。中央線に乗って都内にまで足を伸ばしましたが、見向きもされませんでした。電話してアポを取ったり、ツテを伝って人とあったり、地道な活動を続けていました。居酒屋の次は、酒屋さんめぐり。新宿区、大田区、足立区、様々なところに足を運びました。居酒屋とは違って、酒屋さんの方は割と話を聞いてくれたんです。当時は、ほぼ毎日日課のようにドサ回りでしてましたね。今では、都内にも5本くらいのルートがあります。みんな感度の高い酒屋さん。知り合った当時、国産ワインは見向きもされない時代でしたが、「山梨のワインっていいの?蔵元を紹介して」という感じで、興味を持っていただくことができました。
魅力を全身で感じられるワインツーリズム。
———–今では山梨のワインは有名ですが、何が転機となったのでしょうか。
転機は、やはり「ワインツーリズム山梨」が大きかったと思います。ただ単にワインを飲むだけではなく、ワイナリーを巡り、つくり手と触れ合い、ぶどうやワイン、人、地域の歴史など、産地ならではの魅力を全身で感じられる。ワイナリーのためにやるのではなく、勝沼にはこんな歴史があるということを全国の人に知ってもらうきっかけになったと思います。農家の人がお客様と話をしたり、たくあんと一緒にワインを飲んでもらうとか、様々な体験を通して勝沼というブランドができあがっていくと思います。ワインツーリズムは、主宰のフォーハーツカフェの大木さんの尽力がとても大きいと思います。ワインツーリズムは開始から10年。最初の頃はバタバタでしたが、2000年〜2008年が大きな転機でした。
新田商店 代表取締役 新田正明
大学を卒業後、映像制作の会社に就職。7年間の勤務を経て、30歳の時に地元勝沼に戻り、3代目社長に就任。先代が築いてきた歴史を受け継ぎなら、勝沼産や山梨産のこだわりのワインやお酒を販売している。現在は、ワインツーリズムや山梨ワインの産地を紹介するコンシェルジュやワインセミナーなどを開催。勝沼や山梨の活性化を目指して様々な活動に積極的に参画している。
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