【長寿企業研究② 創業270年・釜屋のブランド論 第2回】
釜屋は創業1748年、江戸中期から続く酒蔵。代表銘柄は「力士」で1785年から続く超ロングセラーブランドだ。また近年では発泡純米酒「ゆきあわ」、ワイン酵母仕込み純米酒「ARROZ」など革新的な取り組みも行う。第13代蔵元で、代表取締役社長・小森順一氏に、永く愛され続けるブランドへのヒントを聴いた。
何もわからない。でもそれが後で効いてくる。
——小森さん自身は、伝統ある釜屋に来て、いきなり経営者としての仕事が待っていたんですよね。
釜屋で働くことになった当初の印象は、「これはひどい」という感じでしたね(笑)。私が戻ってきてすぐ父が病気になり、数カ月後には専務として経営の舵取りをしなければなりませんでした。今から約10年前のことでしょうか。市場はとめどなく右肩下がり。日本酒はオヤジのお酒というイメージでしたし、日本酒離れが進んでいた時代です。当然、蔵の雰囲気も良くありません。酒の造りかたは当然わかりません。私は完全な素人で、そんな人間がいきなり息子、というだけで経営サイドに回って「ああだ、こうだ」と言うわけですから、当然辞めていく人間もたくさんいました。ただそれによって、財務的にはスマートになりました。その中でやるべきことを細分化して、ひたすら目の前の仕事に打ち込んでいました。あの頃は営業と企画と、わからないなりに2人分の仕事をしていましたね。ただいつまでもそれだけではいけないので、社員に引き継いで、それぞれでもできるようにしていきました。このとき、いろいろな仕事を必死に覚えて、本気で市場を見つめたことが、後々とても活きてきます。
酵母により発酵する釜屋の日本酒
蔵を残すために、あえて遠回りもする。
——蔵の立て直しのために何から手を付けていったのですか。
とにかく売上がどんどん下がっていましたから、何かきっかけが必要でした。そこで自社の資産を改めて見渡してみると、実は日本酒だけでなく、焼酎、リキュール、スピリッツ、みりんなど、アルコール関係の多数の製造免許を持っていました。実際、ここまで酒蔵で持っているところも少ないですし、これを活かさない手はないと思いました。そこに取引先からの要望もあり、甲類焼酎をやりました。もちろん日本酒を本当はつくりたいんです。でも蔵が潰れてしまっては元も子もない。技術も設備もあるわけですから、これを活かしていきました。おかげで焼酎で業績が回復。ここで新米経営者として、社員からの信頼を得ることもできました。恐らく戦後の米が取れなかった厳しい時代などに、これらの免許をとっていたのだと思います。そう考えると、歴史に感謝ですよね。この焼酎の後、いよいよ本丸、日本酒の改革に手を付けていきます。手前味噌ですが、立派な設備と、優秀な杜氏がいるんです。それに、冷え込んだ日本酒市場をなんとか元気にしたかった。そこで考えたのが、「ゆきあわ」と「ARROZ」です。
(第3回へ続く)
文:BRAND THINKIKNG編集部 撮影:落合陽城
株式会社釜屋 第13代蔵元 代表取締役社長 小森順一
慶応義塾大学環境情報学部を卒業後、物流会社で5年間修行した後釜屋に入社。専務として20代後半から経営の舵取りを行う。2011年代表取締役副社長。2014年代表取締役社長に就任。
※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対して弊社は一切の責任を負いません。