【無名の酒がなぜ売れたのか 第3回】
議論の様子
富士川町内、県内、県外の在住者でチームを構成。
「まちいくふじかわ」というプロジェクトにおける、本菱の完売は、ひとつは前回書いたように、理念をメンバー間で共有できたことが大きいと思います。育ってきた環境も、今やっている仕事も全く違う。富士川町在住者も、そうでない人も一緒のメンバーでやっていくには、必ずひとつの軸が必要でした。とかくこのことは、企業内だとただ同じ屋根の下で働いているというだけで忘れがちなことですが、今回のようにそれぞれが違う背景を持っているメンバーが集まると、理念というのは必然的に大きな拠り所になるということがわかりました。ブランド論で言う、「理念=ビジョン」の重要性を肌で感じました。
さて、その次に完売できた要因を挙げるとすれば、「プロジェクトでつくりあげたことによる主体性」ということが言えると思います。最終的に本菱という酒が、メンバー自身の「本菱」になっていったということです。では、どんなふうにプロジェクトを進めていったのか、ということですが、単純にまず、1チーム10人前後で3チームを構成しました。富士川町在住者、富士川町以外の山梨県在住者、県外在住者と大きく3つのくくりにわけ、くじ引きでチーム分けを行いました。
基本的に、運営側の私たちから宿題を出し、それについてチーム内で考えてきてもらい、プレゼンしてもらう、というスタイルで進めていきました。宿題は、日本酒市場の状況から始まり、富士川町の強み、ターゲットの設定、競合の設定、本菱の性格、強みの優先順位、ターゲットがお酒選びで重要視すること、コンセプト、ビジョン、ミッション、プロモーション提案まで。毎月順番に宿題を出し、プレゼンが終わったら、自分たちの意見を付箋に書き出して、全員で議論していく、という流れです。
このチーム分けのプラス面は、富士川町在住者とそうでない人たちがどのチームも必ず入っているので、Webやパンフレットなどから得られる情報だけでなく、生の声で常に議論できる点です。出身者である私が知らなかったような思いがけない富士川町の強みを発表してきたチームもありました。
マイナス面は、距離の問題です。各チーム、富士川在住者と県外在住者がいるということは、なかなか会って話し合いができません。20代〜60代まで、世代が多岐にわたるので、ITリテラシーに大きくバラツキがあり、最初は苦労したようです。ただ若い世代が、フェイスブックやLINEのIDのつくりかた、投稿のしかたなどを教えることで、Web上での会議を繰り返していきました。それでも、なかなか会って話すほど、ニュアンスが伝わりにくいということもあり、相当苦労していたようでした。チームによっては、山梨在住組が東京に出てきて、会議するということも頻繁に行われていたようです。
しかし、わざわざ町内在住者とそうでない人たちを混ぜたのは、上記のようなマイナス面よりも、プラス面の方の効果を優先したからに他なりません。私が富士川町に住んでいた時は、地域活性など1ミリも想いが及ばないほど、興味がありませんでした。しかし離れてみて、クライアントワークを重ねることで、「一見、強みがなさそうな企業でも、必ずどこかにいいところがある」という確信が湧いてきました。そういう視点で富士川町を見渡せば、必ず強みが浮かび上がってくるだろうと考えました。町内在住者で、このプロジェクトに参加してくれたみなさんは、本当に視点の高いみなさんだと思います。彼らに外からの「刺激」を与えることで、今後、町内からの一層の参加を促していきたい、そうすることが、のちのちの活性を考えれば、本質ではないか、と考えたからです。マイナス面での不便さは、参加者のみなさんには申し訳ないのですが、乗り越えていただこう、という考えでした。
慶應3年に書かれた図面。三畳分くらいの大きさがある。
決めていたのは、「本菱」の顔になるブランドをつくろう、ということのみ。
しかし、こういう不便さを乗り越えて、いや、だからこそ、世代を超えてメンバー同士が仲良くなる、という現象がどんどん見られるようになりました。山梨県内の町内在住者とそうでない組は、同じ県内ということで、気軽に会えることから、何度も自主的な飲み会が開催され、結束力が高まっていっているように見えました。県外組も東京で何度も集まって、ミーティングという名の飲み会が開催されていたようです。
宿題は、1回1回はかなり難しく、ヘビーだったように思います。なにせまだ商品がありません。自分たちでゼロイチをつくりだす楽しさがあるとはいえ、参考資料が圧倒的に乏しい。普通なら、これまでの売上とか、今の味とか、そういう現状を分析した上で、じゃあどうする?とできますが、それが一切できないのです。しかしだからこそ、「自分たちはどうしたいのか?」という想いに純粋になることができたと思います。ブランドとは、つまりは最終的に「想い」です。自分たちはどうしたいのか?それに尽きます。とかく、近視眼的なマーケティング視点で、「どうするのが正しいのか?市場や競合がこうならこうすべき」という論理で動きがちですが、そういうことを考えすぎなくていい状況でした。自分たちで決めていく楽しさは、各チームきっと大きかったと思いますが、「こうしたい」と「こうすべき」の狭間で、考えを巡らしてくれたのだと思います。事実、毎回のプレゼンは各チーム渾身の作でした。仕事さながら、徹夜でプレゼン資料をつくるチームもあったほどです。
通常、クライアントワークとしてブランディングのプロジェクトをやっていくときは、事前の取材や進んでいくワークショップの流れを読みながら、ある程度自分の中で仮説を持ってリードしていきます。しかし今回私が決めていたことは、「純米大吟醸or純米吟醸で、今後も見据え、本菱の顔になるブランドをつくる」ということのみ。例えば本当にやるかどうかは別として、「純米酒・本菱」や「本醸造・本菱」など、酒は製法によって、ブランド拡張ができる商品。だから今回は1発目として、顔になるもの、と決めていました。それ以外は、議論の中で、一番納得するものを自分自身で決めていこう、と考えていました。ただこれは、プロジェクトの運営とクライアントの両方を兼ねる特殊なケースだからできることでもあります。
よくメンバーからは「こうしようという考えがあるんですか?」とよく言われましたが、そのたびに上記のような説明をしていました。メンバーからは、あるように見えたのかもしれませんが、本当に決めていませんでした。なぜなら、120年前に一度は消えた酒。味の記録もなにもありません。結構売れたね、という記録と、本菱の刻印、蔵の図面のみ。不確定要素が多すぎて、味を再現するということは最初から不可能でした。仮に、味を再現できる資料などがあったとしても、今のほうが技術が優れていると考えれば、資料が中途半端になくてよかったのだと思います。あればもしかしたら、それを再現したくなったかもしれません。これから120年続く本菱をつくればいい。そういういい意味での「割り切り」をしていました。
プロジェクトを重ね、ブランドの性格や味などが決まってきたのがお米を収穫する10月ころ。ここからラベルデザインなどを進めていくと、プロジェクトは段々と盛り上がっていきました。やはり形になってくると、メンバーのテンションは上がります。次回はどのように、何もない中からターゲットを明確にしていったのか、ということを書いていきたいと思います。
発見された本菱の刻印。左が銘酒。右が酢造と書いているので、酢もつくっていたことがわかる。
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